田中家の知恵袋 ~ 24時間 HAPPY 人生のための サバイバル JAPAN戦略

おくすり & ワクチン お注射アレルギーの みなさまのための幸せ加速計画

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ついに 自分の人生を 自らの希望で 拓ける時、到来!!

   

 長らく 悩みだった「借地権不動産」の自己所有が、
ついに解決の 日の目を見るチャンス、到来!!
2023年 春
築 56年め、居住歴 40年となる 東京北区赤羽の 現住居から
住み替えることになった。
 建て替えるか?
 住み替えるか?
コロナ前から 検討し続けてきたが、
「住み替える」と 決断した。
その理由は、
1)  借地権物件なので 底地権を買わない限り、一生、地代を払い続けないと、住み続けられない
2) 築 56年め (1967年) で メンテナンスを自分でしていることもあり、
 世に出回る ボロ家、空き家より 見た目も構造も 経年ほど感じないものの (であろう・・・人間でいえば、年齢の割りに若さを保っている人??)
  さすがに あと 20年以内には、建物自体の大規模修繕が必要になる。
  現時点、2006年に フルリフォームした 1階は 見た目新築、対して、2階は 昭和ボロ物件という雰囲気で
  メンテナンスフィーは 資材高騰の現代、自分でできない部分があるので 300万円以上はかかりそう。
3)  三角形に近い 五角形の変形狭小地 10.5 坪で、さらに 建て替えるとなると セットバックで 9.5 坪に縮小させられる
 (昭和 42年に 亡き父が購入時、不明だった 瑕疵担保責任が 北区役所から降りかかる形に)
4)  変形狭小住宅は セキスイ、トヨタホーム、スズキハウスのような 標準型住宅 (結局、無難な 長方形、正方形の構造が 安くて長持ちする家です)は建てられず、
 注文住宅しか、建てられない。
  以上、総合すると、自分が今後、平均年齢 80歳くらいまで住み続けるには 1000 万円以上 かける必要がある。
 加えて 私自身、3代め 江戸っ子 (祖父母、父母、自分と 生まれも育ちも東京)なのに、
日本の風土に なじめない・・・・
 特に「悪法も法なり」「喧嘩両成敗」「お上の命令に従うべし」など
組織の都合、全体主義、長いものには巻かれよ!
などなどの、国民性には 未だに 我慢できない。
ゆえに 変人といわれれば、それまでだ。
1990年の 元旦に
「いずれ 海外移住して 老後は 海外で 自由で豊かに 過ごす人生を実現する!」
という目標を立て、以来 33年 経った現在も、この大目標はブレずにいる。
当時、世界一の物価高の 日本の年金を受け取れれば、地球上、どこの国でも
豊かに暮らせる。物価高なのに増税なんて、ふざけすぎていたので
当然、消費税導入など、とんでもない!
と 昭和の最後まで 消費税そのものに反対していた。
しかし、無名の貧乏国家公務員の 若造の 意見など  親にもつぶされてしまった。
(お上に従順な 両親だったから、消費税導入反対を叫ぶ息子の私を
押さえ付けるのは、当然の成り行きであろう。また 当時は郵便局員は、
郵政省という政府組織だったので、国家公務員だった。職場で消費税導入反対!
なんて 口にしたら、真っ先に出世を諦めさせられる・・・という雰囲気だった)
当然ながら 1989年から 消費税が導入されてしまった。
0から 3% だけでなく、預貯金の利子からも 20% の分離課税を取られることになった。
 政府も マスコミも 消費税で騒ぎ立て、
裏でひそかに 分離課税も導入してしまった。
ユダヤの格言に
「0から 1は、1から 100 よりも長い」
というのがある。
 つまり、無から 1に進めば、1から 100 など、時間の問題。
消費税も いずれ 屁理屈をつけては増税し、3 %どころか、20 %, 30% なんか、
当たり前に行くだろうし、これは 国家による詐欺、収奪だ。
 日本は もはや増税一直線の国になったから
自分の老後は 日本にいたら、東京にいたら、いずれ
バラック小屋で困窮生活を余儀なくされてしまう・・・
当時は 日本も まだ 地価上昇していたし、物価もじわじわ上昇、
そのくせ、郵便局と、父の店の手伝いをしながら、
大学で借りた 日本育英会の奨学金を返済しながら、
預貯金、保険も 仕事柄、同時並行で進めていた。
物価の上昇とは裏腹に 収入は 特殊国家公務員では最安値、といわれていた組織らしく、
石川啄木の 一握の砂の 世界。
働けど 働けど なお我が暮らし 楽にならざり
ジっと手を見る
実際に 手も 荒れて ボロボロだったし、
過労死寸前まで労働に勤しんでも
豊かさを感じられることは、皆無だった。
 世の中がバブルだ、景気がいい、
なんていっている中、そんな自分が 惨めだったし
未来の地獄絵図は 私の頭から 離れなくなった。
 1990年代は まだ 家族や仕事の縛りで 海外移住がままならず
「せめて 面積のある不動産に居住したい!」
また 小児喘息でよく 呼吸困難に陥っていたせいか?
私は 人ごみが大の苦手で 混雑する場所は 極力 避けたい性分だ。
長蛇の列に並ぶ、なんて、とんでもない!
(ディズニーランドが どうしても好きになれない理由でもある)
狭苦しい都区内での生活に 嫌気が差して
そこそこ、人ごみは避けられる 地方で暮らしたい。
と考え、たまたま付き合いのあった 建築業の大先輩(父くらいの年齢)が移住した 千葉県岩井で
その大先輩の隣の空き地を購入、移住計画を練っていた。
土地購入後 まもない 2000年1月25日、
父が 脳梗塞で倒れて、緊急入院!
以後、孤軍奮闘での 介護人生を余儀なくされ、
移住計画どころでなくなって、岩井の土地を売却。
 初任給 10万円で始まった 労働者にとって、
35歳で 120 万円の損切りは、痛かった。
1990年元旦を機に、 海外と日本の 複数居住を切望し続けていて、今世紀に入ってからは
 豊かで自由な PT としての人生実現、という目標は
長期継続、現在進行形で ブレずに向かっている。
 借地権問題の解決、
いよいよ、そのチャンスの扉が 開かれたのだ。

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