02 コスパ最強・健康オタクな人生にこだわるようになった理由 ~ 中年になって DIET成功
子どもの頃から 肥満児で 幼稚園に入るころには、
「デブ、でぶ、百貫で~ぶ~」
と バカにされるくらい、デブっていた。
昭和40年代の話だ。
当時は、「デブは親の遺伝」とよく言われ、
私は 太っていた親父の遺伝が強く
ごく普通の体型の妹は、普通の体型の 母の遺伝だ
と、母からは 言われ続けていた。
子どもの頃は、親や医者のいうことを
素直に聞く以外、無かった。
最初に就職したとき(まだ 郵便局が 郵政省の国家公務員だった 1988年)
北神谷郵便局で、見習いとして、窓口にいたときがあったが、
その時、高卒の先輩女子局員(学校の学年は同期だが、私は大卒での就職だから
5年先輩になる) M子K子 氏から、
「やせようと思わないのかねえ?!」
と、毒づかれた。
高校生のときから、自分にできそうだ、と思った ダイエットで
時給 500円程度のバイトでも 取り組めたものは、
いろいろ試した。
運動療法は 身体が辛すぎて ついていけず、
サプリ等のものは、小遣いが続かず、挫折し続けてしまった私には、
M子K子氏に 返す言葉はなかった。
ただ 押し黙るしか、なかった。
自分の惨めさ、まさに 傷口に毒薬を塗りこまれているかのような、
メガトン級の ショックだった。
「世の中って、努力なんて、評価されない。
結果が見えなければ、バカにされるだけだ」
その後、紆余曲折を経て、ついに ダイエットに成功した。
45歳前あたりに、ほぼ 健康診断結果も 体重も、正常になれたので、
今でこそ、ダイエットをあきらめない、奮起と努力の継続の発火点となった、
この ○子氏の 罵詈雑言に 感謝できるようになった。
が、当時は 悔しいのなんの・・・・
医者も親も、全く 私のダイエット成功の力には、なれなかったし、
単に、私のデブぶりを、罵倒するか?
陰でコッソリ 「あのデブチンめ!」
と 蔑む人々の 冷たい視線を感じながら
20年強を過ごしてしまった。
自分のダイエットは、結果的には、
自らの身体を実験台に、自ら調べ、テスト、実践してみる。
自らの治療法を編み出すしか、なかった。
(それをまとめたのが こちら ↓ )
アメリカも、あんなに肥満体が多いってことは、
意外と まともな治療を受ける機会は、無いのではないか?
日本も、アメリカに倣っている国だから、
日本の医学も、けっこう いい加減だったり、
本当は、威張っているだけで、
医者の免許があるだけで、
治療なんて、できないんじゃないか?!
地位とか名誉なんかよりも、治せる医者しか、価値はない。
医者でない私でも、そう痛感した。
自分の健康は 自分で守るしか、ない!!
もう、医者には 頼れない・・・
40歳にして 迷わず、の結論の1つは、
この事実だった。
続いて、
腰痛を乗り越えた話も しましょう。
↓
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