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腰痛治療 ~ 自ら探し回り 自ら調整できるようになって復活

   

 ダイエットとともに、

人生における、大きな 身体の問題、悩み

は、腰痛かもしれない。

 残念ながら、腰痛に関しても、
期待に応えられる病院というのは、意外と少ないのではないか?

 日本の医学は、西洋医学一辺倒で、 
東洋医学、整体とかマッサージ、あんま、鍼灸の治療と、
大学病院、総合病院は 仲が悪い。

自分のダイエットを、自ら成功させるしか、なかったこと。
その前の 腰痛治療、親父の脳梗塞治療を通して、
私は、昭和の昔の 「白い巨塔」の体質は、
ほとんど変わっていないように思う。

すっかり 日本の医学に 失望を感じるようになってしまった。

なので、正直、

「眼に異物や虫が入った」など、物理的な不調は、

すぐに治すために、通院するが、

内科的なこと、急病でないことは、

なるべく 医者から遠ざかるようになった。

 

話は 1995年に さかのぼろう。

 

この年、自分は 腰痛になって、タクシーの長時間運転ができなくなった。

やむなく休業するが、税金と社会保険は差し引かれるので、

給与明細は なんと!

2月、3月と マイナスだった!

タクシーは、歩合100%だったから

源泉徴収と社保の分は、そっくり差し引かれてマイナスなのだ。

おまけに タクシーに乗るための 2種免養成を受けていたので、

ここで 退職するわけにも行かなかった。

退職金もボーナスもない上に、教習費も請求されたら、

破産同然。家族から追い出されて、ホームレスだ。

 

このときは、人生の最大の危機だった。

 

腰痛は、とうとう、健康保険の利く病院では治らず、

インターネットがまだ普及してなかった当時(まだまだ 高額だった)

傷みを抱えながら、図書館や本屋を回って、

腰痛治療の本を探し、保険の効かない整体医にかかって、

ようやく 腰痛を解消、仕事に復帰することが できた。

 

腰痛になったのは  1995年 2月、阪神淡路大震災の翌月だったので

よく覚えている。

腰痛で働けず、家族からは

「石潰し!」

「大人になって 働けない、稼げない子は ウチの子じゃない!」

と 責められて辛かった。

 

自殺しよう、とまで考えていたところに、

地下鉄サリン事件が起きた。

 

この事件は、アメリカでも トップページでデカデカと

「日本の首都東京で 毒ガステロ事件」

として 報じられたそうで、

Hawaii の友人から

「Mr.Tanaka、大丈夫か?」

と、心配する国際電話がかかってきた。

 

私は、この国際電話で 自殺を思いとどまった。

 

「オレのことを 心配してくれる 友人がいる!!」

このときほど、人生の恩人を痛感したことは、無かった。

 

腰痛治療で 働けず、治療費ばかりが出ていってたので

人生最高に辛く、生きていたくなかった当時

「阿蘇山か? どこかの活火山の火口に飛び込むのが、一番、キレイに死ねるか?」

なるべく苦しまず、瞬殺レベルの自殺の方法を考える日々だった。

それが、国際電話1本で 救われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

※  阪神淡路大震災

発生 /   1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒(日本時間=UTC+9)

 

※ 地下鉄サリン事件

1995年 (平成7年) 3月20日 東京都で発生した 同時多発テロ事件

地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件 (警察庁 正式名称)

 

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